記録会 ― 2005年06月14日
息子が5000Mの記録会に出場。出場者28名中、20位。タイムは18分50秒。先輩からは19分以内を目標に、と言われていた。何とか、達成することができた。
課題曲の仕上げ ― 2005年06月25日
今年も県学生コンクールの課題曲の仕上げに、小学6年生の娘はピアノの先生(芸大楽理科卒)に連れられて、怖い怖いおばぁさん先生(芸大器楽科卒)の指導を受けた。
13:30から15:20までの間、ハノン、チェルニー30番、バッハ三声のインベンション、クーラウのソナチネと順番に弾く。「昨年よりは、マシになったわね」とおばぁさん先生。「腕と手首を強くして!」との指摘も受けた。
帰宅後、ピアノの先生から電話。
- せっかく、ここまでピアノをやっているのだから、ピアノ科を目指しては、どうかと思って。東京芸大、愛知県芸大、京都市芸大は、難しいけれど、関西なら、神戸大、大阪教育大、京都教育大、同志社女子大などを目標にがんばっては、どうかしら。ピアノを習い始めたのが遅いので、大変だとはおもうけれど。 -
一般的には、見所があれば、ピアノの先生から小学生の早いうちに音大の受験を進められるらしいが、一向に声をかけてもらえず、娘も目標を見失いかけていただけに嬉しい電話だった。
娘は有頂天。お父さん頑張って、おばぁさん先生と同じピアノ(スタインウェイ)を、買ってと言い出す始末。 私と家内は、公立の中学、高校で勉強とピアノを両立させた上で、音大を目指すという条件で、娘を支援することにした。
現在のピアノの先生の週1回のレッスンを週数回に変更し、聴音、ソルフェージュを追加する。また、ピアノの先生が娘が師事できる若いピアニストを探してくださることになった。
株を始めた頃 ― 2005年06月28日
私は1985年に社会人としての一歩を踏み出した。当時は、公定歩合5%、1$=\230前後、日経平均12,000~15,000円、NYダウ1200~1,800ドルで推移していた。
1985年9月、プラザ合意により、金利の低め誘導によるドル高是正が始まり、円高、債権高(金利安)、原油安のトリプルメリットのテーマと共に、1986年の春頃から、大型株が買い上げられる相場が始まった。
1986年4月、社会人になって1年が経過し、そこそこのお金が溜まった私は、株式投資を開始することにした。
最初に買った株は、東京電力、1986年4月のチェルノブイリ原発事故で電力株が急落したタイミングで購入した、株価は4,000円弱だった。その後、トリプルメリット、子会社のTTNet(東京通信ネットワーク)設立などを材料に買い上げられ、あれよあれよという間に、秋には株価が2倍になった。
40万円が半年で80万円。。。控えめに計算しても、1年で株式資産を倍にできるだろう、2年で160万円、3年で320万円、4年で640万円、5年で1,280万円、6年で2,560万円、7年で5,120万円、8年で1億に到達可能と、当時は真剣に考え、この考え方を密かに倍々作戦と名づけていた。
1985年9月、プラザ合意により、金利の低め誘導によるドル高是正が始まり、円高、債権高(金利安)、原油安のトリプルメリットのテーマと共に、1986年の春頃から、大型株が買い上げられる相場が始まった。
1986年4月、社会人になって1年が経過し、そこそこのお金が溜まった私は、株式投資を開始することにした。
最初に買った株は、東京電力、1986年4月のチェルノブイリ原発事故で電力株が急落したタイミングで購入した、株価は4,000円弱だった。その後、トリプルメリット、子会社のTTNet(東京通信ネットワーク)設立などを材料に買い上げられ、あれよあれよという間に、秋には株価が2倍になった。
40万円が半年で80万円。。。控えめに計算しても、1年で株式資産を倍にできるだろう、2年で160万円、3年で320万円、4年で640万円、5年で1,280万円、6年で2,560万円、7年で5,120万円、8年で1億に到達可能と、当時は真剣に考え、この考え方を密かに倍々作戦と名づけていた。
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